:2008/1/1
洋楽っぽい音を作っている方がステイタスが高い。これは黒船来航以来のわれわれ同胞の悲しい性(さが)である。筆者は1950年生まれ。確か広告論に17歳理論(*注)というのがあったが、17歳になる少し前、"青い瞳"(ジャッキー吉川とブルーコメッツ)は大ヒットし、後年グループサウンズの嚆矢として位置づけられる。ちょうど高校受験の直前。音楽の授業中に筆者は隣に座った悪友、K松の
おかげでポップスに目覚める。奥手ではある。だからこそ、そののめり込み方は尋常ではなかった。"DAY TRIPPER"(THE BEATLES)あたりからリアルタイムに聴き始め、自分独自のランキングで〜今で言うマイブーム〜を授業中にK松と交換していたのだが、そのころは日本の歌謡曲と洋楽ポップスとは歴然とした区別があることが衆目の一致するところであった。
筆者が名門私立高校受験に失敗し、滑り止め都立高校に合格したかしないかの頃、"青い瞳"(英語盤)は世に出た。
新しい洋楽に聴こえた。橋本淳(作詞)の中学英文法的英語詞のせいだけではない。まず、ドラムソロで始まるイントロ。
ドラムソロで始まるJ-POP(当時は和製
POPS)がそれまで存在していたかどうかはわからない。
ドラムソロに続くEm-G-A−Cというコード進行。これはディグリー(カッコ内はAmキーの場合)で表すとTm(Am)-♭V(C)-
W(D)-♭Y(F)となり、"朝日のあたる家"
(Arranged by ARAN PRICE,1964年)
である。ここで当時の洋楽好きの人の感性
に触れる。従来の歌謡曲では聴いたことのない進行だが、最近洋楽のどこかで聴いたことはある。これが肝である。
この進行が2回目には4小節目のC(Y)が
B(X)になる。賢明なる読者ならお察しの通り、Tm(原調Em)に行くためにX(B)に
してあるのだ。
Aメロ1〜2小節目、これがまた当時の歌謡曲では聴いたことのないサウンドだった。普通なら(カッコ内はキーAm)Tm(Am)
-Wm(Dm)といくところをTm(Am)-W(D)
としている。これはドリアンモードの曲例で引用される進行であるが、実は歌メロ自体は
普通のマイナーになっている例がほとんどである。このTm−Wの繰り返しは7thをつけると"It's Too Late"(music by Carole King,1971)になるが、なんとIt’s Too Lateの方が5年後というのに驚かされる。A'メロ2小節目、4小節目で井上忠夫がEドリアンの特徴音C♯音をあからさまに歌う。これもインパクトのある音であった。
この曲がその後のJ-POPの礎となったことは間違いない。
(*) 17歳理論
ヒトは17歳の時に見聞きしたことがいちばん脳裏に刷り込まれる。例えば40歳の人に訴求したいCMには23年前のヒット曲を使うと良いという理論。
大学の広告論の授業で習ったが、誰が唱えたかは失念した。
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